ゆうすけ君の証

Report by 鈴木 裕典(CS静岡) 2013 April

 

私の右耳は生まれつきあまりうまく聞こえません。私は昔から神様の存在を信じていました。もし神様がいないのなら、自分は創造段階の失敗作に過ぎなくなるからだと思います。しかし、この耳であることにコンプレックスを持った事はありませんでした。昔からこれは神様から与えられた試練なんだ。これには絶対に何か意味だあると信じていました。そう思うしかなかったんです。父や母が何かしたわけでもなく、ご先祖様が何かしたわけでもなく、誰も責めることができなかったからです。父に中学生の時このような事を聞いたことがあります。「何で身体障害手帳を取らないの?とったら何でも安くなるでしょ?」と。父は軽く「取ることは出来るけどお前に必要ないだろ。これからお前は身体障害者として生きてきたいのか?」と答えました。私は必要ないと思いました。

 私は5歳の時から剣道を始め、高校は全国大会常連校、大学は体育大学。もはや自分の中では剣道を頑張って祖父や親戚のように警察に奉職し、立派に、そして幸せになるというのが自分の中の将来図でした。しかし大学2年生の時、先に警察に奉職していた兄から「お前は聴力がないから警察になれないぞ」と言われました。自分の心がガラスのように粉々に砕ける感じを覚えています。なぜここまで剣道を頑張ってきたのか?人と何も変わらず何でもできるのになぜ?周りの思いのない人がなれて、なぜ警察になりたい自分がなれないのか?自分の存在について色々悩んだ時期でした。この頃既にさーフィンを始めており、毎朝誰よりも早く海に行ってうまくなろうと真剣にサーフィンをして、周りのローカルの人にも大変良くしてもらいました。そんな時にCSJの人と出会いました。私はなぜこの人達がこんなにも楽しそうにサーフィンをするのか疑問に思っていました。しかし、みんなとサーフィンをするのがとても居心地が良く、サーフトリップ、福島の全国集会に参加したり、デイブに紹介されたオーストラリアのクリスチャンサーファーズの家族の所に行き、デイブの家族とサーフィン、日本人教会にも行ったりもしました。しかし、キリスト教には興味ありませんでした。オーストラリアから帰国後、大学のクリスチャンの先輩が主催しているアメリカ旅行に誘われて行きました。その中でアリゾナのホストマザーに「裕典は神様はいると思う?」と聞かれました。私は「神様の存在は信じるけど、それがなんの神様かわからない」と答えました。そしたら兄弟が自分の為に泣いてくれて、一緒に祈ってくれました。それからサンフランシスコに移動した時、ニック・ブイチチとべさにー・ハミルトンの対談の映像と出会いました。ベサニーの言った聖書の御言葉が私の心に凄く印象深く残りました。エレミヤ書29:11「私はあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ。」私はこれを聞いた時、自分がこれまで心の中で抱いていた思いが言葉に表されているように感じとてもうれしくなりました。この御言葉はこれまで自分を励まし続け、希望を与え続けてくれました。

 旅行から帰国後すぐにハワイに交換留学に行き、たまに教会、クリスチャンサーファーズの人と交流を持ち、困った時には祈っていました。もう一度ホストファミリーに会いたいという気持ちで冬休みをアリゾナとサンフランシスコの2つの家族と過ごしました。クリスマスをアリゾナの家族と過ごす中でクリスマスの本当の意味を知り、同時にお祖母さんが危篤でホストファミリーはクリスマスの日に延命治療をやめるという決断をしました。私は別れの時に立ち会いました。その時、お母さんがティッシュとサランラップの芯を持ってきて小さな息子に言いました。「よく聴きなさい。お祖母ちゃんの体はなくなってしまうけど、お祖母ちゃんの魂は私たちの心の中と天国で生き続けるのよ。」私はそれを見てこれは自分たちとは違うと感じました。サンフランシスコに旅立つ日、お母さんから「裕典、本当にごめんなさい。あなたが来たら色んな所に行く計画をしていたのにどこも連れて行くことが出来なくて」と言われました。私は葬式の日にそのようなことを言うホストマザーが理解できませんでした。そんな時、飛行機の中でクリスマスに貰った聖書の中にあったメッセージを見つけました。それは「私達は神様が私達の家族にあなたを送ってくれた事を本当に感謝しています。私達はいつかあなたがあなたも神様の家族だとわかる日が来ることを祈っています」というメッセージでした。

 私はサンフランシスコのホストファミリーに神様を信じると伝え、一緒に祈ってもらいました。しかし、ハワイでは教会にはいきませんでした。帰国後、千葉で1ヶ月過ごす機会が与えられ教会に行った時、賛美することがとてもうれしくて教会に行くことが楽しく感じました。しかし、静岡に帰らなければいけなくなり、兄の家に寄って行きました。兄から子供ができたとか聞かされ、喜びながら食事をしている中で私は「兄貴に警察になれないって言われた時は本当に辛かったよ」と言ってしまいました。兄はまじめな顔で私に「俺だって辛かったさ。お前に言う前に親父に何度も相談して、でもお前が警察を受けてなんで落ちるのかわからない方がもっと辛いだろうって思って言った。お前は知らないだろうけど、お前が生まれた時に親父が小さな俺達を呼んで「裕典を普通の子と同じようにこれから接してやってくれ」って頼まれたんだよ。俺はお前を誇りに思うけど、一番辛いのは親父とお袋だってことは分かってあげてくれ」と言われました。私はこれまで23年間もそんな事も知らず何不自由なく生活していたことがとてもショックで、しかしとてもうれしくも感じました。

 次の朝起きた時、目の前がこれまでで見た事もないぐらい美しく見えて神様の人生の計画の素晴らしさに感謝し、なぜかアメージンググレイスを聞きながらうれしくボロボロ泣いてしまいました。でも教会にはいきませんでした。静岡に自分に合う教会があるのか。知り合いの人に「神様を信じた?」と聞かれてもわからないと答えていました。言ってしまったら家族を裏切るのではないかという罪悪感にいつも駆られていたからです。しかし自分の望む教会が与えられ、これは神様の計画の一つだったのだと確信しました。

 神様はこれまでも、これからも多くの素晴らしい人々を用いて私の人生にすばらしい希望と将来を与え続けてくれると思います。最後に、もし神様が私のためにもう一つすばらしい人生の計画を用意してあると言ったら、私はまた同じ体で、同じ親、兄弟、そして周りのすばらしい人々でまたあなたを知り、あなたを感じたいと言いたいです。